あなたはあなたの人生を生きていますか?
生きていることに意味を感じていますか?
『我々が手にしている時間は、決して短くはない。むしろ、我々がたくさんの時間を浪費しているのだ』
これが古代ローマの哲学者セネカの言葉です。
『人生は短い』と感じるのは、それは我々の生き方の問題です。
生き方の問題?
『時間』それは普段何気なく、当たり前のように使っているモノ。
実はこれがお金よりも‥
何よりも大切なものであると知っていますか?
【時間の大切さ】を哲学者セネカの言葉が気づかせてくれます。
3つのポイント
- 人生の浪費
- 多忙の生活
- 過去の存在
上記、3つのポイントが我々に“時間の大切さ”を教えてくれています。
- 毎日が忙しい
- 毎日をなんとなく過ごしている
そんな方は、ぜひ一緒に【時間】について学びましょう!
人生の浪費について
人間は知らず知らずのうちに時間を浪費しています。
しかも、そのため自らの人生が短くなり、死ぬ間際になって初めてその短さに気づくのです。
時間の無駄遣い
【人生は使い方次第で長くなる。なのに人はそれを浪費して短くしてしまう】
つまりは、時間の無駄遣い。
- 無益な仕事に懸命に取り組んで汗を流す
- 酒浸りとなり、怠惰にふける
- 他人の意見に振り回され続け、疲れ果てる
- 偉い人たちに好かれようと、自分からすすんで奴隷のように奉仕して、身をすり減らす
- 長距離の移動時間
- 予約なしの待ち時間
- ぼーっとしている時間
このような人たちは死ぬ間際になって、初めて【人生の短さに】に気づくのです。
時間を有効活用していないのは、自らの人生をただ浪費しているだけである。
人生を浪費している人の【生きている時間】はほんのごくわずかです。
残りの時間は単に【時間が過ぎているだけ】である。
時間の価値について
【自分の人生を乗っ取ってしまうようなやからを、自ら招き入れるようなまねさえする】
つまりは、他人に時間を平気で奪われているということ。
『ちょっとお話良いですか?』と他人から声をかけられても、人は話の内容には『どんな話?』と気にするが、その奪われる時間にはほとんど気にしない。
矛盾点①
人は自分の土地を他人に占領されることを許さない。しかし、自分の人生の中に人が入ってきても気にもとめない。
矛盾点②
自分の金銭を分け与えようとする者など、どこを探しても見当たらない。しかし、誰もかれもがたくさんの人に自分の人生(時間)を分け与えてしまう。
人は、自分の財産を管理するときは倹約家だ!ところが、時間を使う時になると、途端に浪費家へと変貌してしまう。
他人に自分の人生(時間)を気づかないうちに奪われていることや、自分が何を失っているかさえも知らないまま時が過ぎ、やがて我々は人生を十分に生きることなく死んでいくのです。
永遠の命への錯覚
さて、それではなぜこのように我々が人生(時間)を浪費しても気にも止めないのでしょうか?
『我々がまるで永遠に生きられるかのように生きているから』
それがセネカの説く答えです。
- 時間を無限だと思っているから。
- 過ぎた時間に興味がないから。
- 時間は泉のように湧いてくるような感覚でいるから。
これらが、我々を永遠に生きられると錯覚させることでしょう。
多忙の生活について
『多忙な人間は、どのように人生を浪費しているか』
多忙な人間は何事も十分に成し遂げられない。
つまり、【生きる】ということでさえ満足に成し遂げられないのである。
【生きる】ということから最も遠く離れているのが【多忙な人間】である。
そう、セネカは説きます。
生きることは生涯をかけて学ぶべきものであり、それを知っているものはみんな自分の【時間の価値】をわかっています。
自分の人生が長いものになることでしょう。
自分の時間を自分のためだけに使うことで、先送りの先は…
誰もが一度は耳にする言葉があるでしょう。
- 『50歳を過ぎたら仕事を引退しよう!』
- 『60歳になったら田舎でゆっくり暮らしたい!』
- 『定年を迎えたら、好きなことをしよう!』
このような願望はみんなにあると思います。
しかし、そんな先まで生きられる保証がどこにあるというのか。
セネカは厳しくそう言います。
人生の残りカスを自分のために取っておき、もうなんの仕事も出来ない時間しかあてがわないなんて…。
生きることを止めなければならない時に、生きることを始めるのは遅すぎではないか。
先延ばしにすることは人間にとって最も愚かなことである。
『いつかやろう』のそのいつが来ることも、明日でさえ来ることは保証されていない。だから、『明日やろう』は『馬鹿やろう』
過去の存在について
『時間に向き合えない人の人生は短く、不安に満ちている』
人生は3つの時に分けられる。
- 過去
- 現在
- 未来
そう、この3つである。
- 現在→すぐに過ぎ去りすごく短いモノ
- 未来→これから過ごすであろう未来は、不確かなモノ
- 過去→これまで過ごしてきた過去は、確かなモノ
過去が確かであるのは、そこには運命の力が及ばず、誰の自由にも出来ないからだ。
『多忙な人ほど過去を見失う』
多忙な人は過去を振り返る暇はなく、仮に振り返る暇があっても悔やんでいることを思い出すのは不愉快だからだ。
過去には失敗の履歴がたくさん蓄積されているのだが…多忙な人たちは目の前のことに振り回されているだけで過去を見ない。
『過去は永遠に所有できる』
人間世界のあらゆる偶然性を超越し、運命の力でさえ及ばない神聖なモノ。誰にも奪われないモノで、1分1秒と姿かたちを変える現在とは違って、命じればすべての過去が姿を現します。
過去を忘れ、現在を疎かにし、未来を恐れる。そんな人たちの生涯は不安に満ちている。このような人たちは死に間際になって、初めて多忙なばかりで何も意味のあることをしてこなかったことに気づく。
まとめ
古代ローマの哲学者のセネカが説く『時間大切さ』。
2000年以上も前の悩みは、現代でも同じように残っています。
人々はなんとなく生きているだけのかたがほとんどなので、この悩みは2000年以上もの時を超えても、未だに残り続けてるのかも知れません。
時間=寿命
この考え方をするだけでも、『時間の大切さ』や『自分の時間の価値』が十分に理解できます。
また、時間を奪う方もこの感覚でいれば…『他人から時間を奪うことは、その人の寿命を奪うこと』に繋がります。
他人から時間を奪うことは、寿命を奪う事なので、その責任持つくらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。
コメント